実は私、今年で、スイスに滞在した年数が、生まれて育った日本に住んでいた年数と同じ数になったのです…
渡瑞する前に数年間、米国と英国にもいたことがあるので、その年数を引いてですけれど。
思えば遠くへきたもんだ〜
結婚して渡瑞して来たのですから、長く住んで当然なんでしょうけれど、正直こんなに長くスイスにいる事になるとは、思ってもみませんでした。
当時は、環境変わって良いかも、くらいのノリで来てしまったような…
悲しいかな、未だドイツ語は完璧には程遠く、スイスの歴史、政治経済に至っては、知らないことばかりです。
最近では、ちょっとしたメールを書くのにも、子供たちに
ドイツ語これで間違ってない〜?
って聞いたり。
考えてみれば、子供たちより私の方がスイスに長いんだわ!
幸い就職してお仕事をさせてもらっているので、あまり疎外感なども感じずに毎日暮らしています。
子育ても経験して、慌ただしく忙しく、スイスがどうだとか考える間もなかったのかもしれないけれど。
子供がいると否応なしに、地域に溶け込まざるを得ないですものね。
子供たちが成人して手のかからなくなった今でも、近所のスーパーで旧ママ友にばったり会って立ち話、とか。
近所の薬局に行ったら、息子のお友達が見習いとして、仕事をしていて、
あら〜
なんて話かけてしまったり、なんてことも。
以前暮らした米国では、数回ほどあからさまな差別を味わったことがありました。
小さな子供から石を投げられたこと(涙)…
田舎の町のダイナーで、いつまで座っていても注文を取りに来てもらえず、はっと気が付いて店を後にしたこともありました。
ま、でもこれは小さな田舎町でのことです。
米国は広いですからね。
どこもかしこもニューヨークやロサンゼルスではないですから。
初めてお友達になった地元育ちのルームメートは、私に会うまで有色人種を見たことがなかった、と言っていました。
(一体いつの時代でしょうねえ…)
ま、仕方ないでしょうね。
それでも米国は、懐の広い国だと感じて帰国しましたが。
スイスで、(英国でも…)こんな差別は今まで一度も受けたことはありません。
今やスイスでは、4人に一人が外国人だそうです。
戦争で移民してきた人が多く、子供たちの学校などでも、それなりに問題もあったので、私の様なアジア人に構っている暇はなかったのかも知れません。
子供たちも、もちろん些細な事はあったけれど、あまり気にせず、周りに恵まれて育ってきたと思います。
スイスでも、もちろん都会と田舎の違いは、あると思いますけど。
田舎の町で、外国人の少ない所だったらやっぱり違っていたのかなあ?と思うことはあります。
この先どこまでゆくのやら〜
徒然に、そんなことを考えながら、チューリッヒの中央駅で電車を待っていたら、
「すみません。33番線って、どう行くんですか?」
それから、
「ドイツのコンスタンツへ行くんだけど、ここで電車待っていて良いのかな?」
そして、
「この電車のチケット、窓口で買ったんだけど、スタンプしないといけないんでしょうか?」
はあ…
立て続けに数人の方の案内をする羽目に。
私、ものすごく頻繁に、道や電車を聞かれたりするのです。
チューリッヒ空港駅なんかに立っていようものなら、まるで案内係です(笑)
いっつも思うのですが、どうして、私のような外見まるっきり外国人に道を聞くのでしょう?
スイス人の不思議…